暘谷城址

2008.07.21

速見郡日出町




日出城跡(暘谷城跡) 町指定史跡
「日出城跡(暘谷城跡)は日出藩初代藩主、木下延俊が慶長6年(1601)に細川忠興の援助で築城した。暘谷城の名は“日は暘谷から出て咸池に入る”という言葉から引用して命名したと伝えられている。昔は天守跡に三層の天守閣がそびえていたという。二の丸および外郭には家臣の居宅、町家を入れた。明治7年(1874)2月大分県は天守閣をはじめ九の櫓を競売に附し取り壊したが隅櫓のみそのまま大正10年まで城内にあったが、小学校拡張により移転した。
 日出小学校は明治6年、本丸の建物の払下げをうけ、暘谷小学校が開設されたのが始まりで明治20年小学校令によって暘谷尋常小学校となり、その後日出小学校となり今日に至っている。
本丸下の海岸は俗に“城下海岸”と呼ばれ、ここから望める別府湾の風景は絶景との評があり、別府八景、大分県の百景の一つともなっている。」
東側からお堀にアーチが見えました

入口の構造は石造アーチです

西側

上部、日出小学校です