回天大神訓練基地記念公園

2016.02.14


速見郡日出町大神




回天大神訓練基地
「歴史的背景と回天
 昭和16年(1941)12月8日に日本海軍が米海軍太平洋艦隊の基地であるハワイ・オアフ島の真珠湾を攻撃し、太平洋戦争が始まりました。
開戦当初は優勢でしたが、北太平洋ミッドウェー沖の海戦で敗北後は守勢に転じ、ついに沖縄では敗戦が濃厚となり、日本本土の空爆も始まりました。日本海軍が劣勢に立たされる中、兵器庫に何百本と眠っていた九三式魚雷を改造して自らが操縦し敵艦に体当たりする人間魚雷を採用することになりました。その訓練基地が、山口県の大津島、光、平生、大分県日出町大神の4カ所に開設されました。この人聞魚雷は、『天を回らし戦局を逆転させる』という意味から『回天』と名付けられました。

基地の全容と大神突撃隊
 この基地の建設は、戦局あるいは防衛上から極秘に進められました。また、別府湾を訓練海域に使え、出撃に際しても地理的に優位なことから、大神漁港に隣接して建設されました。基地内施設は、回天神社、回天格納庫を含め舎屋51棟、魚雷調整鳩、変電所、浄水場施設等が整備され、二千名の隊員が従事していました。回天搭乗員数285名の『大神突撃隊』が昭和20年4月25日に開隊されました。同年8月3日、この基地から唯一の出撃があり、8名の搭乗員及び整備員が回天8基とともに、愛媛県宿毛湾麦が浦へ向け進出しました。8月12日、出撃待機命令を受けましたが、8月15日、出撃しないまま終戦を迎えました。8月25日、大神突撃隊が解撤し、8月31日付をもって基地は米軍に引き渡され、その後、残された回天は廃棄させられました。この基地では終戦後、基地内で松尾秀輔少尉が自決しました。

現在
 大神回天基地のあった約25ヘクタールのこの地は、ほとんどが民間所有地であり、今後、整備・保存していくためにも民間の方々のご協力が必要です。
 日出町としましても、現在残っている地下壕、魚雷調整プール、変電所、浄水場プ−ル等を整備・保存し、悲惨な戦争を再び繰り返すことのないよう、後世に伝えて行きます。
 昭和50年4月24日に元隊員たちによる大神回天会が発足し、大神突撃隊開隊日の4月25日を例祭の日と定め、毎年例祭を開催しています。
 この地を訪れた皆様方が、人の命の尊さと平和のありがたさを美感していただければ幸いです。
(お断り)歴戦の史実か否かは未確認のまま、また日本海軍とかアメリカ艦隊などと省略するなど、記述例として書いています。」

案内板より

回天一型改一(実物大模型)
「全長:14.75m 直径:1.0m 全重量:8300kg
最大速力:30ノット(時速約56キロ) 航続時間:2時間15分(12ノット)
弾頭炸薬量:1550kg 乗員:1名
 1945年(昭和20年)4月25日に大神回天訓練基地が開設され、5月23日より別府湾を訓練海域とした訓練が始まった。訓練には『回天一型』を改良した『回天一型改一』が使用され、『回天一型』との大きな違いは、波切形状改正と潜水艦から搭乗する下部ハッチが無く陸地から出撃するものであった。
終戦間近の1945年(昭和20年)8月3日、大神基地から唯一の出撃があり、『回天一型改一』8基と隊員8名が危険海域の中無事に愛媛県宿毛湾麦が浦へ輸送されたが、発進待機命令を受けたまま終戦を迎えた。」
回天大神訓練基地記念公園に立ち寄りました

前方から

搭乗口

後部