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熊野磨崖仏参道橋
2010.03.06

豊後高田市田染平野

橋長:1.4m
橋幅:1.5m
桁2列
単径間円弧桁橋




胎蔵寺へは5年前に来たことがありますが、この先熊野磨崖仏へは30年以上ぶりの訪問です

途中に架かる参道橋、まったく記憶にありません

側面

下流側

下部

上から

これは記憶にあります

鬼の築いた石段
「紀州熊野から田染にお移りになった権現さまは霊験あらたかで、近郷の人々はお参りするようになってから家は栄え、健康になりよく肥えていた。その時、何処からか一匹の鬼がやって来て住みついた。鬼はこのよく肥えた人間の肉が食べたくてしかたないが権現さまが恐しくてできなかった。然しどうしても食べたくなってある日、権現さまにお願いしたら、“日が暮れてから翌朝鶏が鳴くまでの間に下の鳥居の処から神殿の前まで百段の石段を造れ、そしたらお前の願いを許してやる。然しできなかったらお前を食い殺すぞ”と云われた。権現さまは一夜で築くことはできまいと思って無理難題を申しつけられたのだが鬼は人間が食べたい一心で西叡山に夕日が落ちて暗くなると山から石を探して運び石段を築きはじめた。真夜中頃になると神殿の近くで鬼が石を運んで築く音が聞こえるので権現さまは不審に思い神殿の扉を開いて石段を数えてみるともう九十九段を築いて、下の方から鬼が最後の百段目の石をかついで登って来る。権現さまはこれは大変、かわいい里の人間が食われてしまう、何んとかしなければとお考えになり声高らかに、コケコウーロと鶏の声をまねられたら、これを聞いた鬼はあわてて“夜明けの鶏が鳴いた、もう夜明けか、わしはこのままでは権現さまに食われてしまう、逃げよう”と最後の石をかついだまま夢中で山の中を走り、一里半(六キロ)ほど走ってやっと平地に出たが息がきれて苦しいので、かついだ石を放ったら石が立ったまま倒れないのでそこを立石(速見郡山香町)と呼ぶようになった。鬼はそのまま倒れて息が絶えた。これを聞いた里人たちはこれで安心して日暮しが出来る。これも権現さまのおかげと、岩に彫んだ大日さまのお加護であると朝夕感謝するようになった。」