田染荘小崎
2019.06.15
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豊後高田市田染小崎(たしぶおさき)
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荘園の風景が残る村 田染小崎
「現在の地名で『田染○○』と付く地域は、中世には田染荘と呼ばれた地域です。田染荘は宇佐神宮の根本荘園『本御荘十八箇所』の中でも、最も近い荘園のひとつであったため、中世を通じて重視された荘園でした。
中世の田染荘の姿は、江戸時代初期の様子を描いた村絵図や、現代に残された地名によって遡ることができます。絵図の柿色(焦げ茶色) は水田を表していますが、航空写真と比べてみると、現在にもその姿が引き継がれている事が分かります。更に現在に残された小地名の中には、『山之口』『赤迫』『雨引新田』のように鎌倉・室町時代の古文書に登場する耕作地の名前と一致するものも多く存在しています。
絵図には小崎村の信仰の場も描かれています。台薗集落の鎮守である雨引神社、原の愛宕神社、空木の奥愛宕社、小藤の三嶋社、岩屋が集中する岩峰。田染小崎の景観は中世・荘園の時代から殆ど変わらず現在へと伝わっているのです。」
豊後高田市教育委員会 |
夕日観音岩屋からの眺望
「六郷満山の僧たちの修行場として小崎の岩峰に開かれた夕日岩屋は、南北朝時代の古文書には既に登場しています。夕日がよく見える事から名付けられたと考えられており、裏側の朝日観音岩屋とは対となる存在です。現在では田染荘小崎が最もよく見える眺望スポットとして有名です。
右側に見える集落は『台薗集落』です。ここには『中世のムラ』の風景が今も多く残っています。ひときわ大きな『延寿寺』は中世の頃には、荘園をまとめた田染氏の住む『尾崎屋敷(本屋敷)』とよばれた場所でした。
一番手前の大きな田は、宇佐神宮へ献上するための米を作っていた事から『御供田』と呼ばれます。そこから広い谷に沿って『雨引』『赤迫』『山之口』と呼ばれる所まで不規則な形の水田が広がっていることが分かります。
もっと遠くを見ると、六郷満山の大寺院『高山寺』があった西叡山が聳え、修行に使われた岩峰・岩屋が集まっています。」
豊後高田市教育委員会 |
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1年ぶりの訪問は雨
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一番手前の田んぼには水が張られています
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登り口は木が伐採されていました
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途中から下を振り返る
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定位置
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展望台左下も伐採されています
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雲が晴れるのを望みつつ待ちます
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右側の空が明るくなりますが
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再び雲が多くなり
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日没後もこんな感じ
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タイムラプス
以上 2019.06.15撮影
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国東半島を回り、戻ってきました
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伐採されたのは竹だそうです、あと2回くらい伐採しないと根絶やしにできないそうです
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これから金比羅に陣取ります
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カメラをセット
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夕日岩屋から、この調子で日没までいって欲しい
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金比羅から
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日没まで日が長い
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田んぼの様子
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タヌキ?
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南西側の岩峰
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台薗集落方面
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19時過ぎ、次第に雲が多くなりました
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いつものことながら、台薗集落方面が少し赤味を帯びましたが、これにて撤収
以上 2019.06.22撮影
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