金宗院跡仁王像
2011.11.12

豊後高田市松行




金宗院跡 吉弘氏菩提寺
「金宗院は、禅寺で永享八年(1436年)の開基と言われ、屋山城主であった、大友氏の三大老吉弘氏の菩提寺として栄えてきた。
 吉弘氏は、大友氏の重臣として、中国地方の大内氏に対抗するため、
屋山城主として当地を治めた。吉弘家からは、柳川城主(福岡県)立花宗茂を輩出し、朝鮮出兵(1592年)などで多くの武功をあげた一族であった。
悲運の武将吉弘統幸(第五代屋山城主)は、関ケ原の役(1600年)で豊臣方に参じ、黒田軍と石垣原(別府市)で戦い、孤軍奮闘したが壮絶な討ち死にをした。当時の金宗院住職は、ひそかにの統幸の首級を持ち帰り、寺内に葬った。
終戦後、寺は無住となり、寺屋は崩壊し、金宗院の名のみを残してきたが、吉弘氏の子孫や地区の住民により、供養塔が建てられ、金宗院跡として遺されている。」

豊後高田市観光協会
日も傾いた頃、金宗院跡の杜

階段を上ると

仁王像

阿形

吽形

文化十三年(1816)

背面

境内の五輪塔、石造物