下の川地蔵伝の石造物群
「この場所にはお堂があって住民もお祈りのため集まっていたが、昭和十六年(1941)秋の水害で流されてしまった。
『信仰動鬼神』(信仰は神をも動かす)と題のある大正工年(1922)の石碑には、お堂の建設費を奉納した人名が刻されている。
頭に青銅の笠をかぶったお地蔵さんは、台座に『天明改元』(1781)『石書経王』と刻され、地下にお経を墨書した小石が奉納されでいると思われる。伝承では、逃げてきた武士がここで追っ手に切り殺されたので供養するため、または水難による死者をとむらうためのお地蔵さんと言われ、地面からの高さも3メートルをこえている。
観音の石祠(石のほこら)も二基ならんでいる。大きいほうの屋根は宝珠をのトップページへ乗せ、唐破風(からはふ・前面の装飾性の高いひさし)には朱の彩色がほどこされた優品である。右側面に『文政七甲申年(1819)二月吉日』の年記、裏側に『名主 稙田廉介』の名および『施主』の両側に『田達』と『伊兵衛』の姓名、左側面にも観音の名号などが刻されている。
もっとも北側に立つのは庚申塔で、昭和十年代の町道拡張工事のさい朝来小学校の近くから、この場所に移設したとのこと。碑面の風化がはげしいが『寶永庚申」(1710)の年記ならびに、邪気をふむ金剛像・ニワトリ・サルなどの彫刻を認めた研究家もいる。
一歩さがった位置に立つ六角の石憧(せきどう)も六地蔵を彫った龕(がん)を乗せた古い石造物である。これら数点はもと周辺のあぜ道にあったが、近年の圃場整備にともないこの場所に集め、計8点が並んでいる。」
安岐町大字朝来 久末石造保存会
田辺貴久夫 宮本慎二 牧野英機
牧野文則 田辺康行 田辺征雄 |