安宗板碑墓塔 市指定有形文化財
「玖珠郡の豊後清原十二家に森氏があり、十五世紀前半頃森氏の一族で勘解由左衛門尉というものが瀬戸田仁与に移住した。
十六世紀前半、彼の木工助が安宗に分家し、その木工助の子薫能すなわち寿誉了徳がこの墓の主である。
安宗森氏は田原氏の被官となり、薫能は大友・毛利の争いに豊前・門司にまで従軍して負傷し、田原親宏から安宗名藤田の五段を賞与されている。滅亡後は『宥免』されて大友親家に従った。
総高一一〇cm
(銘文)
慶長三 戊戌年(一五九八)
寿誉了徳信士霊位
十二月二日
と大正時代判読されている。
(系図より『二日』は『六西』の誤りである可能性がある。)」
国東市教育委員会 |