八坂社板碑

2008.07.21

国東市安岐町朝来 弁分




八坂社板碑 県指定有形文化財 制作年代:元弘三年(1333)
「八坂社は、天平神護元年(765)に開始されたという宇佐行幸会(宇佐宮下宮の旧御験および旧神宝等を奈多宮へ納め奉る宗教儀礼)の経由途中の止宿地であった。このことは、八坂社のある弁分の地が神領であるとともに宇佐八幡宮と密接な関係にあったことをうかがわせる。
 また、八坂社正面に向かい右手に建立されている板碑は、宇佐八幡宮により培われ成長発展した六郷満山の勢力が衰退を遂げていく時期のものである。この時期、武士の押領や重圧により抗争が続き、人々の間には弥陀信仰が普及し、弥陀本願である未来往生の願いの現われとして、板碑の造立が生み出されたという。
 通常三角山形、二条の彫り込み線、額部、身部の構成で一石をもって形成している。板碑は身部が一面になっていたが、板碑の下辺に造出しがあって、碑身区劃を明確にし、下部に柄を作り出して台石に差し込んでいる。」

国東市安岐町教育委員会
 案内板によると「八坂社正面に向かい右手に建立されている・・・」と記載されていますが、この板碑は建っている場所が違います。しかし、元弘三年と刻んであるので、やはりこれでしょう