三浦梅園旧宅
2013.10.14


国東市安岐町富清




三浦梅園旧宅 国指定史跡
「三浦梅園は享保八年(1723年)この富永の地で生まれた江戸時時代中期の哲学者である。名は普、字は安貞、号を東仙又はれん山、洞仙居士と称した。幼い頃から宇宙造化に深い関心を抱き、万巻の書を読んで知識となし、天地自然を考察しその中から哲学的真理を導きだしたのであり、梅園の真の師は天地自然だったといえる。梅園が二九歳のとき、『天地に条里あるを悟り』以後これを壮大な哲学体系に組み立てることに生涯をかけ、二三年の歳月をへて、安永四年(1775年)五三歳のとき『玄語』八巻を完稿した。
 この頃、梅園自らの間取り設計によりこの旧宅を建て、ここで晩年を送ったがその思索活動衰えることなくさらに『玄語』の校訂を続け、『玄語』の応用編ともいえる『贅語』『敢語』など多くの著作の完成に意を注いだ。
 『贅語』十四巻を完成した寛政元年(1789年)、六七歳で病没した。」
三浦梅園旧宅を訪れました
入口の建物は「離れ」

土蔵

旧宅

西側

内部