護聖寺参道橋
2013.10.14


国東市安岐町朝来




護聖寺
「護聖寺は六郷満山中山十ヶ寺であった。
 当時は、般若経の購瑞所であった。しかし、吉野朝のころ泉福寺、無着禅師の法弟、明厳禅師が応永十一年(1404)の春再興し、禅の曹洞派を奉じ現在に至る古刹である。
本寺は大分県最古の板碑二基(県指定文化財)、その他石殿、宝篋印塔、一石五輪塔(町指定)等の石造美術品が寺の周辺に散在する。
県指定の板碑の一つは
碑面に弥陀、観音、勢至、三尊の種子(キリク、サ、サク)仏を表す梵字と正応四年(1291)卯月二十七日孝子敬白の銘、他の一基も同じ種子と嘉歴四年(1329)十二月九日の銘がある。
燈籠塔は参道の向って右にあり塔身に十王像と地蔵像が刻まれている。」

平成十八年十一月六日
護聖寺檀信徒会
護聖寺入口の参道橋

文化六年(1809)

側面

側面

文字が刻んでありますが、読み取れず

内部