護聖寺板碑 県指定有形文化財
「護聖寺はま養老二年、仁聞菩薩の開祖という。六郷満山時代に護聖寺は般若経の講瑞所の役をもっており、平安時代弁分の祇園社(現八坂社)の近くに国司がいたところから護国寺と称したとの伝えもある。
後に護聖寺は六郷満山とともに同じ運命(大友氏、田原氏の武力勢力の浸透などを受ける)をたどり、境内の板碑の建立前後に寺領は押領され無住状態となる。しかし、応永十一年(1404)泉福寺(国東町)の末として再興され現在に至る。
護聖寺の正面に向かい左手奥に建立する二基の板碑はともに年代が明確で、板碑正面右は正応四年(1291)の銘があり、大分県最古のものである。額部以上は別石造りで碑は台石の上に立っている。正面左の板碑は右板碑よりやや小型で、額部中位から上の幅が狭くなり三角山形が少し小さくなっている。身には嘉暦四年(1329)の銘が刻まれている。
石の材質は両方とも安山岩製のものである。」
国東市教育委員会 |