足曳山両子寺
2004.07.24
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国東市安岐町両子
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足曳山両子寺 県指定史跡
「足曳山両手寺は養老二年(718)、仁聞菩薩の開基とされているが、創立年代については明らかではない。
当寺院は、神仏混合の全国希有の寺で、六郷満山の正宗分中山十カ寺の一つに数えられ、天台宗延暦寺派に属する。
鎌倉時代には六郷満山の執行を出す寺院として、六郷満山の中心的寺院であったが、南北朝時代に入ると南北朝争乱にこの一帯も巻き込まれ、混乱状態が続いたようである。
十六世紀には吉弘氏が寺領支配権を握り、両子寺も支配下にあったことが『太宰府管内志』などからうかがえる。しかし江戸時代になってからこの両子寺は、吉弘家滅亡などにより杵築侯の崇拝を受け、その保護のもと杵築藩の最高祈願所となり、以後六郷満山の惣録所として六郷満山を支配することになったのである。」
平成五年三月
安岐町教育委員会
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護摩堂
「足曳山両子寺は養老二年(718)、仁聞菩薩の開基とされているが、創立年代については明らかではない。
当寺院は、神仏混合の全国稀有の寺で、六郷満山の正宗分中山十カ寺の一つに数えられ、天台宗延暦寺派に属する。
鎌倉時代には六郷満山の執行を出す寺院として、六郷満山の中心的寺院であったが、南北朝時代に入ると南北朝争乱にこの一帯も巻き込まれ、混乱状態が続いたようである。
十六世紀には吉弘氏が寺領支配権を握り、両子寺も支配下にあったことが「大宰府管内志」などからうかがえる。しかし江戸時代になってからこの両子寺は、
吉弘家滅亡などにより杵築侯の崇拝を受け、その保護のもと杵築藩の最高祈願所となり、以後六郷満山の惣録所として六郷満山を支配することになったのであ
る。」
国東市教育委員会
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国東塔(鎌倉期造立) 重要文化財
「国東地方にある宝塔の一種で他の塔と区別する為、大正3年京大の天沼俊一博士によって命名された。建立の目的は 一.納経(祈願)のため 二.供養(追善)のため 三.逆修(生前供養)のため 四.墓標(墳墓の標として遺族や関係者が造立する)のため、 等に建立された。当山には大小七基の国東塔がある。
イ)基礎 ロ)台座 ハ)塔身 ニ)笠 ホ)相輪からなっている。塔身の肩の所に孔の開いたものがあり出家得度の際剃髪や納経を入れた。」 |
以上 2004.07.24撮影
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7年4ヶ月ぶりの訪問
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紅葉はイマイチ
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大講堂
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大講堂裏
以上 2011.11.19撮影
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