安岐城跡
2013.10.13


国東市安岐町下原




安岐城跡 市指定史跡
「安岐城跡は大字下原の台地上にあり、眼下に安岐港が臨めます。この台地は東は伊予灘、南は安岐川に面する断崖、北は自然谷に囲まれており、この恵まれた条件を生かして、城造りが古くから行われてきました。城の最大規模は約十三万uにも及びます。
 文献史料によれば、南北朝時代に田原氏が安岐郷へ入り館を構え、室町時代に城郭を築いたと云われています。その後、戦国時代に入り長期の戦いにも耐えられるよう城の構造は設計され、田原氏の本拠地となりました。関が原の戦い後、豊臣秀吉家臣の武将熊谷直陳により、近世的な城郭に変身していきました。
 安岐城跡は国道二一三号線安岐バイパスのエ事に伴ない昭和五十八年から、六十一年に発掘調査が実施され、その結果、三回の建替えが行われていたことが確認されました。

T期 (十六世紀中項)
 大友宗麟の治世、周防に亡命中の田原親宏の帰国が許され、安岐・国東郷の政所職を与えられます。その際、安岐郷の開発拠点として、居館を築きました。
U期(十六世紀後半)
 田原氏の政権が親宏から親貫に移った項で、大友軍と田原軍との戦いで安岐城が攻められたのがこのU期です。
V期 (十七世紀)
 熊谷氏が入り、今までの城郭を全面的に改築し、新しいプランで築かれた城郭です。
《熊谷氏の城郭プラン》
 下原の台地の東側に主郭を築き、構造的には主郭部を片隅に寄せ奥深く防御する梯郭式(階段状に連なっている曲輪)の平地にある城で、主郭部北側には船が出入りできるようになっていました。」

平成十七年三月
安岐町教育委員会
案内板が建っていましたので見学

天満神社がありました

社殿

十王像?