鰐淵寺
「伝承によれば、推古2年(594年)信濃国の智春上人(ちしゅんしょうにん)が旅してこの地へ着かれ、推古天皇の眼の病を治すために浮浪の滝で祈ったところ平癒されたので、これに報いて天皇の発願により建立された勅願寺であるということです。
この鰐淵寺(がくえんじ)という名前ですが、智春上人が浮浪の滝のほとりで修行をしている時に誤って滝壷に落としてしまった仏器を、鰐(わにざめ)が上人にお返ししたことから『鰐淵寺』と称するようになったということです。
平安時代末期には修験道の霊地として広く知られ、出雲大社の別当寺をつとめました。
寺宝はきわめて多く、重要文化財の観音菩薩立像は、その造形美だけでなく『壬申年出雲国』と刻銘があることから著名です。(壬申年は692年とされ、出雲国の文字表記は最古)この観音像は他の文化財と共に古代出雲歴史博物館に寄託されています。
国民的な人気の武蔵坊弁慶は、ここ鰐淵寺に多くの伝説を残しています。
弁慶は仁平元年(1151年)松江市に生まれ、18歳から3年間ここ鰐淵寺にて修行をしたということです。その後京都の比叡山へと移り、源義経に出会ったと伝えられています。
壇ノ浦の合戦で平家を滅ぼした後再び出雲の地に戻り、鰐淵寺に身を寄せました。この際に弁慶は大山寺(現在の鳥取県大山町の山中にある寺)の釣鐘(つりがね)を、この鰐淵寺まで約101Kmある山道を一夜にして担いで持ち帰ったとされています。その釣鐘は国の重要文化財に指定されています。
『提灯(ちょうちん)に釣鐘』ということわざは、弁慶が棒で釣鐘をかつぎ、夜道の明かりのため提灯をともした姿に由来すると伝えられています。
鰐淵寺の場所は島根半島の西側、北山山中にあり、駐車場から仁王門へと続く参道は徒歩で15分程度です。 幅の狭い道には木々がうっそうと繁り、昼間でも少し薄暗さを感じます。山の斜面の反対側は少し深い谷になっており、底には小川が流れ川のせせらぎが聞こえてきます。水流によって削られた岩は歴史の深さを物語るようです。
仁王門をくぐるとその先に本坊があり、そこから根本堂までは長い階段が続きます。神聖な静寂の中にたたずむと、神仏と古の人々の暖かみに触れ、心の重みがときほぐれていく…、そんな思いにさせる寺です。」 |