特別史跡 閑谷学校
2009.05.04
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備前市閑谷
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特別史跡 旧閑谷学校
「旧閑谷学校は、備前藩主池田光政が、庶民の教育を目的として寛文十年(1670)に設立した郷学である。
徳川光圀・保科正之とならんで天下の三名君のひとりにあげられた池田光政は、藩政の目標を儒学の教える仁政の実現におき、寛永十八年(1641)には、岡山花畠に儒者をつぎつぎと招き、家臣の教育のため全国にさきがけて、寛文九年には岡山藩校を城下西中山下に開設した。さらに庶民の子弟に及ぼすため、寛文八年、領内百二十三ヶ所に手習所を設置したが、延宝三年(1675)にはその全てを廃止してこの閑谷の地に統合した。
寛文六年(1666)、光政は領内を巡視してこの地にいたり、“山水閑静にして読書講学”にふさわしい場所であるとし、寛文十年仮学校を開設し、この地の旧名“木村谷延原”を“閑谷”と改め、家臣津田永忠に命じて後世にまで残る学校の建築をはじめさせた。
現在目にすることのできる閑谷学校の姿が完成したのは、光政没後の元禄十四年(1701)、二代目藩主綱政の治世のことで、江戸時代の学校の規模をもっとも完全に残しているものとして特別史跡に指定されている。建造物は講堂が国宝に指定されているほか、重要文化財に指定されているものが二十五件を数える。
閑谷学校の名声は、古くから天下に聞こえていたようで、高山彦九郎・菅茶山・頼山陽・大塩平八郎・横井小楠などの学者文人も来遊しており、大鳥圭介など藩外からの来学もあった。
学校は四周を延長765mに及ぶ石塀で囲み、南側に校門(鶴鳴門)・公門。飲室門・校厨門の四門が開き、なかに聖廟・閑谷神社(芳烈祠)・講堂・小斎・習芸斎・飲室・文庫などが配置されている。備前焼の赤瓦がまわりの緑にはえて美しく、石塀とともに閑谷学校に特有の景観を与えている。かっては火除山をへだてて西側に学房(寄宿舎)がおかれていたが、現在は明治三十八年(1905)建築の旧私立・公立中学校の校舎であった資料館があり、国の登録有形文化財として関係史料の展示を行っている。石塀の南には東西にのびるはん池があり、重要文化財指定の石橋がかかっている。さらに一.二km南方には当時の校門であった石門が四分の三ほど土に埋もれて現存している。
ところで、綱政は、元禄十三年閑谷の田畑山林高二七九石の地を永代学田学林とし、万一国替などの際にも学校経営にいささかも影響をうけないようにとの保証を与えたのだった。しかし、明治の廃藩置県・学制の改革等による大変革によって、閑谷学校も他の全ての藩校同様、廃校となった。同時にまた、閑谷学校の歴史を閉じてはならないとする旧藩士や民間有志によって、明治六年、山田方谷を迎えて閑谷精舎として再発足し、さらに明治十七年(1884)西薇山らによって閑谷学として復活を見てからは、明治三七年私立閑谷中学校と改称、大正十年には岡山県閑谷中学校となり、多くの俊秀を世に送りだしてきた。
戦後、岡山県立閑谷高等学校につづいて、和気高等学校閑谷校舎となり、昭和三九年までその中等教育の場として学校の歴史をつないできた。
荘の地に県立和気閑谷高等学校がその伝統を受け継いでおり、孔子の徳を称えまつる釈菜も、その教職員によって執行されている。
現在特別史跡については、岡山県が管理団体として指定され、財団法人特別史跡旧閑谷学校顕彰保存会によって顕彰されている。併せて、岡山県青少年教育センター閑谷学校が青少年の研修の場として教育活動を展開している。」 |
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重要文化財 校門
「聖廟の工門として建てたもので閑谷学校の校門でもある。
扉をひらくときの音が鶴の鳴き声に似ているので鶴鳴門ともいう。
両袖に附属屋があり、中国の形式を模している。
元禄十四年(1701)の造営である。」
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石塀越しに見える講堂
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国宝 講堂
「元禄十四年(1701)の完成で、内部は十本の円柱にかこまれた母屋と、その四囲の庇の間からなり外側を広縁でとりまいている。
材料の吟味と施工が入念になされているので今日にいたるも一分の狂いもみられない。
一・六の日の講釈、釈菜の講経、正月の読初の儀、藩主臨学のときの講習が行われた。」
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重要文化財 公門
「藩主の通用門で御成門ともいった。元禄十四年(1701)の建造で構造形式は薬医門となる。」
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重要文化財 飲室門
「飲室や習芸斎に入る門で教師や生徒の通用門であった。」
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重要文化財 飲室
「生徒の休憩室で元禄十四年(1701)の造営である。
中央の炉のふちには“斯炉中炭火之外不許薪火”と刻み込まれてあり火の使用に細かい注意がはらわれていた。
土間の片側にある竹の簀は、湯茶の置場でその下には、御影石の流しがつくられている。」
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重要文化財 習芸斎
「学習に使われた部屋で元禄十四年(1701)の造営である。
朔日に白鹿洞掲示講話が、三・八の日に素読講釈が行われた。
床の構造から畳が敷かれていたようである。天井は張ってなく太い自然木の骨組が見える野天井である。」
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重要文化財 文庫
「学校の図書をおさめた収蔵庫で生徒には望みしだい貸与されていた。土蔵造りで屋根は置屋根、前室には土の戸が三重に造られており、防火、防犯に万全を期している。」
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資料館前の門 |