沖田畷古戦場跡 二本木神社
「龍造寺氏は古くから佐賀官城を居城とし、周辺を領知していました。隆信公になって肥前国を制圧し、やがて島津氏と九州の覇を競いました。天正十二年(1584年)三月隆信公は、約五万の大軍を率い、.有馬、島津の連合軍を征服しようと島原半島遠征を企てました。海路より神代(雲仙市国見町)に上陸し、三会(鳥原市)に進出。同月二十四日に南軍は激闘を繰り返し、沖田畷において隆信公はあえなく討死しました。五十六才でした。
二本木神社は隆信公を失った家臣のうち住みついた人達が戦死をいたみ、その霊を慰めようと小祠を建て霊を祀り、ニ本木様と仰ぎ病除けの神としてたたえて来たのが始まりです。この附近一帯を沖田畷といい、戦闘はこの一帯で行われました。ここから国道を諫早方面へ一五〇メートル行った右の奥には供養の碑が祀ってあります。」
島原市教育委員会 |