無窮洞
「無窮洞は、戦争中に宮国民学校の先生と子ども達によって掘られた防空壕です。岩壁に“無窮洞”と大きく彫られた下にある“工事概要”には“本工事ハ昭和十八年八月二十九日起シ、同二十年八月十五日炊事場ヲ未完成ノママ停止セリ。作業ハ一切外部ノ労力ヲカラズ爆薬ヲ用ヒズ、職員生徒児童ノ手ニヨリつるはし、のみ、かなづち、くわヲ使用セリ。そこ面積凡七十坪内四十坪ヲ板張リトシ映画場ノ設備ヲモ施セリ・・・」と書いてあります。“無窮”とは、きわまりないこと、かぎりないことで日本と子供達の将来がいつまでも栄えることの願いを込めて書かれているのでしょう。当時小学生だったお年寄りの話によると、小さな体で鍬やツルハシで少しづつ掘り先がつぶれたツルハシは学校の工事場で鍛冶屋さん宅の児童が修理したということです。女子もホゲなどで土運びをして手伝い、全校生六百人が入れるような広い地下壕ができました。板張りの教室には石の教卓やローソク立があり、書類棚、倉庫、炊事場トイレもあり、防空壕で生活できるよう準備されていたようです。入り口は川の方に二つあり、山へ出る非常口は通風口でもありますが、山から下の方へ掘るものと、中から上に掘るものがつながった時は大変喜んだということです。
無窮洞は子供達の労力で完成させたとは思えないような立派なものです。
平成六年の水不足は深刻で、無窮洞は立派な文化財なので惜しむ声もありましたが貯水池に利用されました。後に別の場所に貯水施設ができたので、平成十四年の佐世保市制百周年記念行事に、無窮洞の復元整備工事をして一般開放することになりました。
一般開放以来qスくの見学者がおいでになるようになり専用駐車場もできました。」
宮地区青年事業会緒の会製作(平成十九年七月)
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