3,912
大里大神宮参道橋
2008.12.07

大村市大里町

径間:0.5m
単径間桁橋




旧長崎街道
「長崎街道は、小倉から長崎に至る五十七里(250km)の江戸時代の幹線道路で、脇街道ながら、江戸と長崎を結ぶ貴重な道路でした。
 江戸時代、長崎は幕府の鎖国令のもと唯一海外に開かれた港であり、オランダや中国との貿易を行う場所でした。この貿易によってもたらされた情報や物品は、江戸時代においては大変貴重なものであり、これらの海外の文化にいち早く触れようとして学者や商人などが長崎に向かい大変賑わいました。長崎港に上がった物資は、大坂、京都、そして江戸へとこの街道を伝わっていき、また、オランダ商館長などの異国人が江戸との往来に利用しました。
 このように、長崎街道は、特に異国文化と江戸を結んだ道であり、江戸時代の文化・経済等に大きく関与しました。
 この街道を通った人物には、オランダ商館の医師シーボルトや蘭学者で絵師でもある司馬江漢、歴史学者頼山陽などがおり、これらの学者や文人たちが長崎往来の記録を残しており、その中に当時の大村も描かれています。
 この付近は、休憩所があった場所で、往来の人々が足を休めました。現在、大神宮が建っている場所には江戸時代古松権現という神社があり、藩主大村純信に再興された神社です。明治になり、他の神社とあわせて大神宮となりました。
 ここから城下へと続く道は、鈴田川沿から武家屋敷の脇を通っていきますが、この大神宮前から国道までの間の道は住宅が建ち現在では無くなっています。また、ここから諫早藩ヘと越えていく山道は、当時の景観が極めて良く残っている場所として、文化庁により“歴史の道百選”に選ばれています。」

大村市教育委員会
大神宮の横には上記のような案内板が立っています

階段の上り口が小さな桁

側面

上から