松平図書頭墓地

2008.08.16

長崎市鍛冶屋町




松平図書頭墓地 市指定史跡
「松平康英(1767〜1808)は、文化4年(1807)、81代長崎奉行(高2000石)tpなる。
 初め名を康秀または、康平ともいい、任官して図書頭といった。当時ナポレオン戦争でオランダはイギリスと交戦状況にあり、文化5年(1808)8月15日、イギリス軍艦フェートン号が、長崎港に不法侵入し、オランダ商館員2人人質にとり、燃料・水・食料を要求した。その時の長崎警備佐嘉藩は警備が手薄で、四囲の各藩も同様であったので、英艦の要求を全て入れ、フェートン号は8月17日出航した。康英は責任を痛感し、始末を記述した遺書を残して自殺。当時町民は深く哀悼の意を表し、諏訪神社境内に康平社(図書明神)を祭った。享年41歳であった。」

長崎市教育委員会
墓所前の石門