土橋貞恵(つちはしていけい)翁生家跡
「“多助坊っさん”の敬称で知られた江戸末期の偉人・土橋貞恵(幼名多助)は安永5(1776)年にこの地で生まれました。幼くして父母と死に別れ、佐賀城下諌早家の下屋敷に奉公、17歳の時に長崎へ立ち、蘭医吉田道碩に入門しました。
道碩より免許を与えられた後、森山村(現在の森山町)杉谷名で“土橋永春”という看板を出し、開業しました。
懇切な医療奉仕、施薬、施米を行い人々から慕われましたが、自身は美衣美食を避け、倹約家だったそうです。
蓄えた私財を慈善事業に役立て、財政難であった諌早領主家に三百両を献上、好古館に維持運営の助けとして学田を、天祐寺や慶巌寺に15町歩余りの田地を寄進しました。また、島原道改修や、半造橋・段堂橋などを石橋に架け変える工事を行うなど、人々の役に立つ事業を多く行い、稀世の偉人と敬われました。万延元(1860)年には領主から“貞恵”の号を賜りました。
元治2(1865)年、成功しておごることなく、ひたすら世に尽くした90歳の生涯を閉じました。」
諌早市教育委員会 |