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鹿山神社参道橋

2008.12.06

東彼杵郡波佐見町宿郷 鹿山

橋長:0.9m
橋幅:3.1m
桁7列
単径間桁橋




鹿山神社の由緒
「鹿山神社の創建
治承年中(1177〜1180)この波佐見の東部に来村した平家の落人と言い伝えられる、剣の御前という人が社を建てて祭ったのが、始まりとされています。したがって、この創建年代は800年前と考えられます。(永尾郷に『剣の御前』を祭るという小社がある)
鹿山神社の受難
 天正二年(1574)大村領主大村純忠の命により、他の神社・仏寺と共にキリスト教徒の焼き打ちに遭い、約半世紀ほど廃れたままになっていました。
鹿山神社の再興
 寛永年中(1624〜1643)当時波佐見の豪族であった飯笹氏が、鹿山郷に社を再建し、鹿島大明神を勧請して再興をしました。経営は当時の神仏混淆の思想から仏式のお祭りがなされ、東前寺が管理運営をしてきました。
鹿山神社の神式改祭
 明治三年(1870)政府の神仏分離の政令により、御神体の仏像を廃して、本来の御祭神である健御雷男命(たけみかづちのおのみこと)を奉斎し、神道式の祭祀に戻しました。明治七年に上波佐見村の総鎮守『村社』となり、上波佐見村で管理運営するようになりました。
宗教法人『鹿山神社』となる
昭和二十七年、連合軍の神道指令により、町の管理を離れ『宗教法人』となり、氏子により経営されています。
奉納相撲の始まり
 毎年九月二十三日が、例祭日になっていますが、奉納相撲が盛大に行われます。この奉納相撲の始まりは、明治三年と推定されています。由来については、古事記中の“大国主命の国護り”の神話、健御雷男命が天照大御神の使いで出雲の国へ赴かれた時に大国主命の子、建御名方神と力比べをされたという故事にちなんで始められたのではないかと思われます。」

宗教法人 鹿山神社
鹿山橋から波佐見町役場方面へ抜けて駐車した場所に戻る途中で鹿山神社に立ち寄りました

鳥居をくぐったところに参道橋

内部

上から

境内には相撲にちなんだ石像