文化財仁王石像について
「南方神社は和銅2年(709)今より1271年前に創建されたといわれる。何人が勧請したものかは不明であり、当時は諏訪上下大明神と呼ばれていた。諏訪大明神から日向国司が分神として、国の二ヶ所に祭ったのが始まりで、祭神は建御名方命、事代主命、八坂乙女神であり、武運長久、繁栄、幸福祈願の神である。
この時代は神仏混淆時代であり、鳥居の所に仁王石造二体があるが、これは文殊菩薩の守仏である。古文書に上宮神体奉立、文殊師利菩薩とあり、天文22年7月27日(1553)、今より427年前、大宮司真方加賀守が信心願主であり、この社に参拝することにより、智慧授受の祈願が出来るので尊崇されたが、慶応から明治初年にかけて廃仏毀釈、神仏分離令によって、これらの貴重な仏像は処分された。明治4年7月、村社に定められ、同時に今の南方神社と更められた。
この度、昭和55年の改築にあたり、文殊菩薩を再度合祀した。今後は、南方神社を参拝することにより、智慧授受の祈願が出来るようになり、宏大なる御神徳が益々宣揚されんことを願うものである。」
昭和55年3月 山之口町教育委員会
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