腹切っどん

2014.08.17

都城市山之口町花木




腹切っどん
「この古石塔は、町内に残る五輪塔の中では一番大きいものである。水輪に袈裟がけに刀傷があることから、『腹切っどん』の伝説が残っている。南北朝期に肝付兼重(南朝)は、高城の月山日和城を中心にこの地域も領していた。延元四年(1339)八月十四日、足利尊氏(北朝)の命を受け、肝付討伐にあたった畠山直顕・島津貞久は、兼重の居城である月山日和城を攻めた。自決を覚悟した兼重に家臣の江田式部小輔家定は、かねてより受けた恩義を感じ脱出再拳を訴え、身代わりとなって割腹した。兼重は一命をとりとめ、肝付郡高山城(鹿児島県)に逃れることができた。
 この時の武将の基であると伝え、こ、の神社を兼重神社と呼んでいる。ここは、兼重の支城の一つであった松尾城の跡(現あじさい公園)でもある。
 又ここは、その昔、連性寺の釈迦堂があったところで、『三保院記』の記載によると『前代連性寺卜伝ル寺為有之由候、右堂ノ前古石塔有之、其内大成石ヲ花木殿石塔与由伝候前代花ノ木村領地ノ人之由也』とあることから、この地を領した豪族、花木殿が訛り伝えられたものであるとも云われている。」

都城市教育委員会
兼重神社

境内の五輪塔

水輪に袈裟がけに刀傷がある、通称『腹切っどん』