田野神社由緒
「古来の伝説によれば、天文二十年西暦1542年室町時代、当時後奈良天皇将軍、今川義輝、上杉、武田の川中島の合戦、ボルトガル人種子島へ鉄を伝える。今から444年の昔、田野川集落に悪病が流行し集落民の人、大半は病気に罹り中には死没する人達も数多く在り其の上悪天候が続き農作物は大凶作と成り集落民は飢餓寸前に至る。当時の弁差人(現在の区長)は集落民を集め協議の結果妙見神社を祀る事と成り早速其の年に社殿を造営し以後毎年旧歴十月二十五日を例祭日と定め五穀豊穣併せて氏子の安全を祈念し今日まで盛大に祭典を執行するに至る。此の地点より北西約250m、又、田野々集落の西側に当り椎谷川添の地が当時の妙見神社の跡である。尚、今から160年前の文化時代に大分県竹田市よリ神楽を導入したとの伝えあり今日も営引き継がれ素朴な舞振りは他の神楽には見られないものがあり、又、其の社殿の南側の谷間より流れ来る水が眼病に効くとの事か一遠方各地より尊信を集めるに至る時に歳月が経つに至り其の社殿も老朽化し、又境内も狭い為、氏子より移転の声が出始め同時に移転するなら境内を寄贈したいと田原馬之助氏自から希望され当時の区長黒田清四郎氏以下氏子と協議の上比の地に社殿造営の計画がなされた又此の地の一角に鎮座せし火照命と合社する事と成り昭和十一生旧十月二十五日に漸く竣工の運びと成り早速妙見神社の御神霊遷の御祭りが夜間厳粛に行なわれた 此の時より田野神社と改名された。」 |