「牧水生家は弘化2年(1845)頃に祖父健海が建て医を開業した。健海は埼玉県所沢在の農家に生れ、長崎で医術を学び26才の時、坪谷の山水の美に心うたれ、そのまま永住したのだろうといわれている。
階下の道路に面した四畳の部屋が当時の診察室で、その他の部屋は家族の居間である。
東側の板縁は牧水が生れたところである。
二階東側の明るい部屋は牧水が学生時代のころ夏休みなどで帰省中の居室で、西側のうす暗い部屋は、明治45年7月、父病気のため帰省して約10ヶ月苦悩の日々を送った際の居室である。この苦悩の間に詠んだ歌五百余首を第六歌集みなかみに収めている。
この時代をみなかみ時代と呼ぶ。
階下の西側の納戸は
・飲むなと叱り叱りながらに
母がつぐうす暗き部屋の夜の酒の色
・納戸の隅に折から一挺の大鎌あり
汝が意志をまぐるなといふが如くに
と詠んだ納戸である。」
牧水顕彰会 |