新田場の田の神 市指定有形文化財
「建立年月日 享保五年二月九日
由来 田の神は、開田の記念と豊作を祈って造られた石像で、昔薩摩藩だったところにだけある。全国でも珍しいものです。
田の神には神像(神官)型、仏像(地蔵)型、田の神舞(農民)型、文字碑(自然石)型などがありますが、新田場の田の神は烏帽子をつけた神像型で、宮崎県内で最も古い田の神のひとつです。
像の後ろに「享保五寅天 二月初九日 奉造立田御神御体 施主 本田権兵衛」の銘文が刻まれています。享保五(1720)年は江戸時代の中ごろで、全国各地で開田が盛んに行なわれていました。
小林市は神像型田の神の発祥の地といわれ、市内に残っている田の神の約半数は神像型です。これらは霧島信仰の影響を受けてつくられたものと思われます。」
小林市教育委員会
新田場の田の神
「像の高さ 100センチメートル
横幅 70センチメートル
台石の高さ 29.5センチメートル
横幅 73.5センチメートル
建立年月日 享保五(1720)年二月九日
田の神は、開田(新しく田をつくること)の記念と豊作を祈ってつくられた石像で、通称“田の神さあ”と呼ばれています。鹿児島県や宮崎県諸県地方に分布する、全国でも珍しいものです。
田の神には神官(神像)型、地蔵(仏像)型、農民(田の神舞)型、自然石(文字碑)型などがありますが、新田場の田の神は烏帽子をつけた神官型で、宮崎県内では最古の田の神です。
小林市は神官型田の神の発祥の地といわれ、市内に残っている田の神の約半数は神官型です。これらは霧島信仰の影響を受けてつくられたものと思われており、豊作を祈ると同時に、当時たびたび起こっていた霧島大噴火が治まるようにという願いも込められたようです。昔から地域の人たちは田の神祭りを行って、田の神に鮮やかな彩色をしたり、お供え物をしたりして、田の神を大切に祀ってきました。
像の後ろには“享保五寅天 二月初九日 奉造立田御神御躯 施主 本田権兵衛”の銘文が刻まれています。享保五(1720)年は江戸時代中期にあたり、全国各地で開田が盛んに行われ、新田場地区でもこの時期に開田が始まりました。その後、江戸時代後期に鹿児島藩から派遣された開田検者宮地定三と新田場の小万という美しい娘との開田にまつわる恋物語も、今もなお“新田場数え唄”として唄い継がれています。」
平成17年11月4日 小林市教育委員会 |