けやき(欅)
「このケヤキは、いくつもの時代を経て社殿を守り年々の様子と朝夕お参りされる人々を静かに見守り続けています。下の弓道場は、昔、大きな池でした。
天正6年3月(1578)、豊後国(大分県)大友宗麟の兵火により社殿が炎上した時、その池から大蛇が立ち上がり、火を消そうと池の水を浴びては火に立ち向かいました。しかし、とうとう力尽き、東の方200m程の草原で息絶えました。村人らはとても悲しみ、長々と倒れていた大蛇の頭と尾の所に供養の石を建てました。その地を『長尾野』と呼び、今も集落名となっています。
また、社伝によると、八幡宮は建久3年(1192)、岩戸山裏村(今の大字上岩戸)二ツ嶽におまつりされていた正八幡を大神惟元公がこの地に移し、高千穂太郎正信公の時代に境内を整え、社殿を建立したと記されています。宝治3年(1249)6月16日には、政信公自らが参列し、大祭が行われました。」
文 宮司 興梠称寿彦 |