宇賀神社仁王像
 2004.08.01

高崎町大字前田字上朝倉




「創建
式部維続が鎌倉初期に幕府命の収納吏で、丹波国から高崎郷に派遣されました。維続は朝倉村を領し、高崎城を築き居館しました。維続は丹波から奉載した宇賀の産土神祠を、右地に建立し郷土の総鎮守神として、社記に表しました。

由来
 創建以来宇賀大明神社として近郷近在の崇敬者が多く、秋の例大祭日は参詣人建ちで大賑わいとなり、八百年も続きました。戦国末期秀吉の島津征討で、高原城主の上原長門守尚近が飫肥城主への派遣で、高崎・高原及び近郷の武士を引連れ出陣しました。この時飫肥の耕地が、宇賀神社に奉納されています。江戸期の高崎郷取立で、郷総鎮守大明神社になりました。鳥居前の仁王像は、江戸期に境内守護で造立されました。江戸期に宇上町口の龍虎山明寺幸樹院(真言宗)は、当社の別当寺でありました。」
阿形のすぐ後ろには頭部が壊れた石像がありました
以上 2004.08.01撮影


10年8ヶ月ぶりの訪問

阿形

吽形

寛保元辛酉天(1741)

後ろの一体

階段を上り

右手の大杉

社殿
以上 2015.04.26撮影



約1年ぶりの訪問

左の一体

右の一体とは対ではなさそうです

寛保元辛酉天(1741)

左側の仁王像と背後にある仁王像が対のようです
以上 2016.05.21撮影