「創建 式部維続が鎌倉初期に幕府命の収納吏で、丹波国から高崎郷に派遣されました。維続は朝倉村を領し、高崎城を築き居館しました。維続は丹波から奉載した宇賀の産土神祠を、右地に建立し郷土の総鎮守神として、社記に表しました。
由来
創建以来宇賀大明神社として近郷近在の崇敬者が多く、秋の例大祭日は参詣人建ちで大賑わいとなり、八百年も続きました。戦国末期秀吉の島津征討で、高原城主の上原長門守尚近が飫肥城主への派遣で、高崎・高原及び近郷の武士を引連れ出陣しました。この時飫肥の耕地が、宇賀神社に奉納されています。江戸期の高崎郷取立で、郷総鎮守大明神社になりました。鳥居前の仁王像は、江戸期に境内守護で造立されました。江戸期に宇上町口の龍虎山明寺幸樹院(真言宗)は、当社の別当寺でありました。」 |