御仮屋跡

2011.09.04

宮崎市高岡町内山




史跡 御仮屋跡
「鹿児島藩では、領内を100以上の区画に割って、『麓』と呼ばれる武士集落をつくり、地方の軍事・行政を管轄するしくみをつくりました(外城制度)。
 その中心となったのが地頭仮屋で、あつかい(郷士年寄)・組頭・横目など、郷の役職についた武士たちが詰め、日常の政務に当たりました。また、藩主が江戸参府やお国入り(参勤交代)などで、郷を通行するときには、その宿所として使用されました。
 当時、高岡郷の地頭仮屋は現在の高岡小学校の敷地内にありました。天ケ城歴史民俗資料館展示の文久3年(1863)の絵図は、生麦事件を引き起こした島津久光の行列が鹿児島へ帰国する途中に作成されたもので、宿泊時の部屋割などが記されています。」

宮崎市教育委員会
現在は高岡小学校