二見家住宅

2011.04.02

宮崎市高岡町内山




去川関所御定番 二見家住宅(主屋一棟)市指定有形文化財 
「二見家は、去川の関所の御定番を勤めた家です。関所が設置された天正年間(1573年〜1591年)以降、代々この地に居住してきました。
 二見家住宅の建築様式には、『二棟造り(分横型)』と呼ばれる南九州の民家の特徴が取り入れられています。右側の棟は『座敷棟(オモテ)』と呼ばれ、来客を迎える接客空間として利用され、左側の棟は『居室棟(ナカエ)』と呼ばれ、二見家の私的な空間として利用されました。
 二見家住宅は、同家に残された古文書に『去川御仮屋』と記されています。『御仮屋』とは、薩摩藩では地頭や領主の詰所のことを言い、同様に二見家住宅が公的な『役所』として位置づけられていたことがうかがえます。藩主など、薩摩街道を通行する上級身分の善が宿泊・休憩する建物としても使用され、嘉永6年(1853年)には藩主島津斉彬、明治4年(1871年)には勅使岩倉具視がこの建物に立ち寄りました。
 建築の時期は、解体時の調査、及び二見家文書の記述によって『座敷棟(オモテ)』が安政2年(1855年)、『居室棟(ナカエ)』が明治28年(1895年)とわかりました。」

指定年月日 平成16年10月13日宮崎市教育委員会
今まで気付きませんでしたが、入り口に案内板が立てられていたので立ち寄りました

座敷棟(オモテ)の入り口

柱に残る刀傷

居室棟(ナカエ)の台所