市指定史跡 去川関所御定番
二見家墓石群 指定年月日 昭和54年1月24日
「今から約430年前の永禄年間(1558年〜1570年)、伊勢国の国守、佐々木義秀の家臣であった伊勢二見ヶ浦の城主、二見岩見守久信は、織田信長に攻められ薩摩の蒲生郷に逃れ移りました。
天正年間の中頃(1582年頃)、島津氏の勢いは大変強く、第16代島津義久は近隣諸国をことごとく討ち従えていました。
義久は、国境の防備を固めるため関所をここ去川(左流川)に設け、定番に二見岩見守久信を命じました。以来、二見家は、11代にいたるまで御定番を勤めましたが、廃藩置県(1870年)のため関所も御定番も廃せられてしまいました。
ここにあるのは御定番二見家の墓石群です。
また、去川小学校裏手の町道(旧薩摩街道)沿いには、二見家の武家屋敷や武家門が現在でも残っており、往時の面影を忍ばせています。」
宮崎市教育委員会 |