安藤家武家門と石垣
市指定有形文化財
「河上家武家門(市指定有形文化財)と同様に、高岡郷に残る江戸時代の武家門の一つです。扉は観音開きで、禄高80石以上の武家だけに許されたと言われています。また、後方に控柱を付した腕木門の形態は薩摩藩独特で、この門もその特徴を色濃く残しています。安政4年(1857)正月の大火で焼失し、まもなく再建されたと伝えられています。
高岡郷の武家屋敷の垣は、本来は竹の生垣にして、横二段に割竹で固定したもので石垣は許可されていませんでした。石垣ができたのが幕末頃になってと言われています。その後、石垣を作る屋敷が増え、竹の生垣は石垣へとかわっていきました。この石垣に使われた石は、高岡石と言われ、浦之名地区や浜子地区の山などで切り出されたものでした。石の性質が非常に柔らかいため、加工しやすいということで石垣や墓石などに使用されました。
安藤家は、慶長5年(1600)の高岡郷創設当時、佐土原から召し移された家で、安永8年(1777)の『高岡衆中高帳』によれば、禄高93石余りと、高岡郷でも上級武士でした。そして、人々からは“あんづどん”と呼ばれ、分限者者として知られていました。」
宮崎市教育委員会 |