穂満坊諏訪神社

2021.02.21

都城市高城町穂満坊




あげ馬
県指定無形民俗文化財指定 平成6年3月25日
穂満坊あげ馬 信承地都城市高城町穂満坊諏訪神社
「あげ馬とは、馬に乗った『稚児』と献上品をのせた『荷馬』を中心に、その前後に多数の人々が連なる行列で、都城市内の高城町穂満坊、同桜木、山之□町花木、高木町にある諏訪(南方)神社に伝えられるものです。
 由来は、文禄の役のとき、都城島津家第十一代北郷忠虎が、出陣に際して諏訪神社に戦勝祈願しましたが、陣中で病死してしまいました。そのため、忠虎の長子で六歳の長千代丸が、後見役の叔父で三俣院千町の領主であった高城城主北郷三久に伴われて願解きに代参し、神楽を奉納しました。この時の大行列をまねたものと伝えられています。
 行列は、鎧に身を固め六尺棒を、持ち大地をつき踏みしめる『棒つき』を先頭に、『いら棒』、『箒』、『弓』、『鉄砲』、『薙刀』、『はさみ箱』、『ひょうたんさし』など二十二組の人々が続きます。鳥居の前と境内で、それぞれが厳粛な、またユーモラスな独特の所作を行います。その後、稚児馬が境内に入り、稚児は乗馬のまま神殿に拝礼します。以前は境内中央の焚火を荷馬が踏み越える『火渡り』も行われていました。稚児の拝礼の後『ひょうたんさし』が神楽を舞い行列は終わります。
 このあげ馬は、古くは毎年七月二十七日に奉納されていましたが、太平洋戦争のため中断しました。戦後、復活しましたがまた途絶え、昭和五十九年に復活して、その後は四年ごとに実施されています。
 馬に乗った稚児を作神の依座として豊作を祈る芸能といわれ、また鳥居や拝礼の前などの要所で唄が歌われる点なども、古い形を今日に伝える貴重な民俗芸能です。」

平成二十年三月
都城市教育委員会
諏訪神社に立ち寄りました

社殿

境内の馬頭観音