石山観音寺関係資料 市指定有形文化財(歴史資料)
「石山観音寺は、『三国名勝図会』によると、古くは天台宗の寺で石山寺と号していたが、応永の初め頃実庵和尚により曹洞宗の寺として再興され福聚寺と改称、安永四年(1775)住持光龍の願により旧寺号の石山寺に復したという。江戸時代には鹿児島藩主家久や光久などが参詣したと伝えられている。慶応三年(1867)に廃寺になったが、明治十三年(1880)に再興され現在にいたっている。
この寺には、大正期に製作された木造実庵禅師坐像や地蔵菩薩立像、江戸期に造られた経典供養塔や庚申塔、献灯などが残されている。
旧鹿児島薄領では、廃仏毀釈の影響ですべての寺院が廃止され、多くの仏像や宝物などが破棄されたなか、石山観音寺関係資料は中近世の寺院の姿を伝えるまとまった資料群であり、たいへん重要な文化財である。」
平成二十三年六月
都城市教育委員会 |