有水備前守碑

2011.08.21

都城市高城町有水




有水備前守碑
「有水を領していた伊東方の武将で、伊東軍が木崎原合戦で敗れた元亀2年(1571)頃、北郷軍(都城島津)に攻められ討死しました。備前守は、弓の達人でしたが、湿田に馬を乗り入れたため、敵に包囲され無念の最後を遂げたと言われています。
 その後、寛永年間(1624〜1628)になると、稲虫の害虫で凶作が続いたので、これは備前守の祟りであろうと、鉦踊を奉納するようになりました。
 この碑は、備前守が討死してから約15年経った伊東氏飫肥復帰後の天正17年(1589)8月4日に建てられたものです。」
県道414号線沿いの神社をチェック

社殿左横に小さな祠

有水備前守碑

境内の石像