松尾掛庄屋跡
「元和年間(1619年)那須三人衆の鷹巣山支配による豪族の反乱『椎葉山十三人衆の乱』を鎮定の後徳川幕府は、椎葉山中を幕府領として庄屋制度を設けて阿蘇大宮司に預けたが、明暦二年(1656年)辞退により人吉相良藩に預けた。
この時の掛庄屋は、松尾、大河内、下福良、不土野の四村に設けられた。ここが、松尾の掛庄屋跡で代々松岡家が受け継いできた。 当時の松尾村は、神門(南郷村)との関わりが深く駄賃付けにより交易が続けられてきたが、特に当松岡家では、一時五十頭近くの馬を飼い、その名声は遠く富高(日向市)佐土原まで馳せていた。
また、明治四十一年(1908年)七月十三日には、民俗学の祖であり『後狩詞記』を著した柳田国男が当家に投宿している。
なお、当家の大銀杏は、古くから広く知られ笹峠を越えてここの大銀杏の葉の色を見れば、農耕の時期がわかると言われている。」
平成十年十一月十二日
椎葉村教育委員会
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