平家の守護神 椎葉厳島神社
「御由緒
盛衰の理は西海の恨と尽きず、流れ流れて日向路の山深く流浪の道を辿り、朝に炊煙を恐れ、夕べに今日の命を感謝し往く雲渡る風に錦城の夢を懐しみし青史悲しや。
椎葉厳島神社は、旧称厳島大明神と尊称し、寿永の昔(元暦三年 一一八五年)鎌倉幕府より長門国壇ノ浦の戦いで敗れた平家一門追討の命を受けた那須大八郎宗久が、大峻険椎葉山中での平家残党の叛意なき姿を深く憐れみ、平家尊々の安芸の宮島、厳島神社の守護神を勧請して創祀させられました。
山中五社(村内十一社の中の五社)の氏神様と称し明治三十九年四月に、勅令第九十六号第一条により神饌幣帛料を供進すべき神社に指定を受け、秋の例大祭、冬祭りの夜神楽祭等賑興交通安全、厄除け、病気平癒、女神様としても崇敬され、村を見わたす小丘に鎮座している。
現在の社殿は、肝和三十年に改築造営されて以来、時代の変遷と共に老朽化したため、平成八年に氏子崇敬者により、本殿、幣殿、拝殿を改修し、社務所、手水舎、裏鳥居を新築、平成十年に参道を改修した。
境内地には、鶴富姫が使ったと言われる『鶴富姫化粧の水』や、那須大八郎宗久の『陣屋敷跡』等の伝説地がある。」 |