椎葉厳島神社

2016.03.13

東臼杵郡椎葉村下福良




平家の守護神 椎葉厳島神社
「御由緒
 盛衰の理は西海の恨と尽きず、流れ流れて日向路の山深く流浪の道を辿り、朝に炊煙を恐れ、夕べに今日の命を感謝し往く雲渡る風に錦城の夢を懐しみし青史悲しや。
 椎葉厳島神社は、旧称厳島大明神と尊称し、寿永の昔(元暦三年 一一八五年)鎌倉幕府より長門国壇ノ浦の戦いで敗れた平家一門追討の命を受けた那須大八郎宗久が、大峻険椎葉山中での平家残党の叛意なき姿を深く憐れみ、平家尊々の安芸の宮島、厳島神社の守護神を勧請して創祀させられました。
 山中五社(村内十一社の中の五社)の氏神様と称し明治三十九年四月に、勅令第九十六号第一条により神饌幣帛料を供進すべき神社に指定を受け、秋の例大祭、冬祭りの夜神楽祭等賑興交通安全、厄除け、病気平癒、女神様としても崇敬され、村を見わたす小丘に鎮座している。
 現在の社殿は、肝和三十年に改築造営されて以来、時代の変遷と共に老朽化したため、平成八年に氏子崇敬者により、本殿、幣殿、拝殿を改修し、社務所、手水舎、裏鳥居を新築、平成十年に参道を改修した。
 境内地には、鶴富姫が使ったと言われる『鶴富姫化粧の水』や、那須大八郎宗久の『陣屋敷跡』等の伝説地がある。」
椎葉厳島神社

階段を上ると相撲場

その上に社殿

裏から

鶴富姫化粧水
「寿永の昔『約800年前』源平合戦に於て壇の浦に敗れた平家の残党は椎葉の奥山にも落ちのびた源氏の追討は厳しく椎葉討伐の任に就いたのが那須の与市の弟大八郎宗久であった
椎葉に赴いた大八郎は十根川に本陣を構へ上椎葉附近の掃討作戦の際水を欲した此処に居合せた鶴富姫がこの水を汲んで供じたり
平家の上籠鶴富姫は絶世の美女であり又この水で化粧をした奥深き椎葉の山中に香りと輝きをもつ一輪の花を男盛りの大八郎がこれを見のがすはずはなく又追討軍の武将たる凛々しい若武者姿の大八郎に姫も心を動かし二人の間に熱烈火の様な恋が芽生へた
本陣をここに移しこの水を縁の水化粧の水として恋をしたと云う伝説を永久に伝へんが為之建」

上椎葉地区老人会
協力者 鈴木孝哉
昭和四十五年十月