長谷観音像 県指定
「長谷寺は、養老元(717)年、大和長谷寺の徳道上人が諸国行脚の途中この地に立ち寄り、建立したと伝えられている。大永二(1522)年の大火により、寺は宝物・古文書などはほとんどを失ったが、三尊像は頭部のみが無傷で残った。
都於郡第七代城主伊東尹祐は寺院の再興をはかり、伊東氏累代の祈願所として再び寺は栄えたが、伊東氏の滅亡とともに次第に荒廃し、廃仏毀釈によって明治四(1871)年に廃寺となった。
明治十一(1879)年、地元の人々によって堂宇が再建されたが、昭和二十(1945)年の枕崎台風によって再び倒壊。現在の堂宇は昭和五十六(1981)年地元の人々の浄財により再建されたものである。
」
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