杉安井堰

2015.05.31


西都市調殿




児玉久右衛門翁と杉安井堰
「児玉久右衛門は、元禄元年十月二十四日、穂北郷三宅村の豪農児玉善有衛門の二男としてこの世に生を受けた。当時の穂北郷八千石は、穂北・南方・童子丸・調殿・三宅・右松・岡富及び黒生野の八ケ村で天領であった。天水が乏しく、水田も甚だしく少なかったこの地域で農民の生活は困窮し、離農者も多かった。
 翁は、この状況を深く憂い、慨然として農民救済の志をたてたが、現地調査や資金の調達で日夜苦労され、辛酸をなめる日々であった。
 このような中、さる宮崎市の篤志家の援助で念願の資金の目処もたち、延岡藩主牧野備後守の承諾をも得ることが出来た。
 享保五年杉安から川原までの水路及び一ツ瀬川の井堰工事に着手した。時に翁三十三才の春であった。
 途中、地元住民の反対や数度に及ぶ水害を被り計画も何度か頓挫しかけたが、これらの難関を克服し遂に享保七年第一期工事が終わり十四町歩の水田に濯漑出来た。
 而して、寛永年間の第二期工事で、新たに八十町歩の開田ができるとともに、用水路の延長によりその面積は六百町歩を越えるにいたった。
 杉安土地改良区では毎年十一月の大安吉日に、翁の偉業を讃え感謝の気持ちを表すため慰霊祭を執り行っている。」
一ツ瀬川の杉安井堰

西都市土地改良資料館前に堰の種類が展示してあります