征矢抜石(そやぬきいし)

2005.11.20

西都市大字上揚 征矢抜


由来
 「応永年間良宗親王を奉じて宮家、天氏重為公米良入山、その後裔、重種公の代、永正元年(1504)神無月27日、菊池重房がその後を追って五郎峠を経て入山、此の岩上に於て鈴木七郎民部小輔惟侍立の許、重種公に謁見、征矢を抜き改めて君臣の誼を誓い宮内大輔に補せらる。
重種に子なき為、血族関係である重房が重種公の後を継ぎ重治と改名して米良城主となる。
是後此の石を「征矢抜石」、一帯の地称を
「征矢抜」と称す。」