木喰上人
「木喰(もくじき)上人は、享保3年(1718)甲斐国(山梨県)西八代郡丸畑村に生れました。
21歳の時相模国(神奈川県)大山不動尊へ参詣し、そこで真言宗の高僧から教えをうけ仏門に人りました。
44歳の時に、常陸国(茨城県)羅漢寺の住職木食観海上人から『木喰戎』を受け修業に励みましたが、安永2年(1773)55歳の時日本廻国の大願を発し、大山山麓の田中村を出発し、遊行僧として全国行脚の途につきました。
それから92歳の没年までの間、一千体彫仏を発願、日本国途中の天明8年(1788)4月、四国から豊後を経て三宅村の「日向国分寺」に到着しました。上人は地元住民に求められて国分寺住職になり、寛政9年(1797)4月までの9年間、三宅村に滞在しました。その間、国分寺が火災にあったためその再建に取り組み、木喰彫像中最大作といわれる『五智如来坐像』5躯を完成させました。
なおこのほか西都市内には、妻恵比須宮のご神体となっている恵比寿像など数点の彫像が残されています。」
平成8年3月
西都市教育委員会 |