日向国分寺跡

2011.04.02

西都市大字三宅




日向国分寺跡
「国分寺跡は天平13(741)年に聖武天皇の『国分寺建立の詔』を受け、東大寺(奈良市)を総本山とし、全国68ヶ国に建立されました。天平勝宝8(756)年の『続日本記』に日向国を含む全国26ヶ国の国分寺が記されています。国分寺には20名の僧が常駐していました。
 当地は西都原古墳群が所在する西都原台地と市街地の中央を南北に延びる標高25m程の中段域上に位置し、西都市街地を一望できる良所です。ここから北に約700mには日向国分尼寺跡、北に1.35Kmには日向国府跡が所在しています。
 日向国分寺跡の発掘調査は古く、昭和23(1948)年に早稲田大学を中心とした日向考古調査団に端を発し、その後、昭和36(1961)年には九州大学及び宮崎県教育委員会、平成元(1989)年に県教育委員会、その後、平成7(1995)〜18(2006)年まで西都市教育委員会が確認調査を実施しました。
 調査の結果、2時期の講堂跡、3時期の中門跡・回廊跡、
伽藍地を廻る区画溝などが確認されており、寺域は一辺約200m四方と予想されます。また、膨大な古瓦が出土し、九州各国の国分寺跡で出土する複弁軒丸瓦と様相を異にする単弁軒丸瓦が出土します。出土する瓦には8世紀後葉に製作された瓦も含まれ、国分寺は尼寺や国府よりも古い時期に建立されたと想定されます。国分寺の瓦は下村窯跡(宮崎市佐土原町)で製作されたと判断されるものも多くありますが、創建期の窯跡は、まだ、確認されていません。」

平成20年3月31日
西都市教育委員会
基礎石らしきものがが残っているだけ