日吉神社由緒
「御祭神 大己貴命(大国主命)大山昨命
鎮座地 宮崎県西都市大字現王島八十二番地
祭日 歳旦祭・一月一日 祈年祭・二月 水神祭・四月例大祭・十二月第一日曜日
大祓、除夜祭・十二月三十一日
社殿 本殿(流造)五坪 祝詞殿一坪 拝殿六坪
(由緒)
当社は社殿日記によると『近江国滋賀郡日吉神大物主命と同体なり。比叡山守護神山王大権現は、後三条天皇延久三年辛亥十月二十九日、西海道日向国児湯郡現王島に勧請』とあり、現王島宗廟日吉山王大権現と称したと伝える。
西暦一〇七一年、現在の滋賀県大津市坂本に鎮座する日吉大社より分霊を遷し奉られたものであろう。
その後大洪水の時、およそ十丁離れた現王口という所に社殿が流れ着き、再び元の社地に御遷座したと伝える。この現王口という所には日吉山王杜が祀ってある。
現王という地名は、狭野尊(神武天皇の御幼名)が日向国佐土原佐野原の地に御降誕された時、尊の胞衣(胎児を包む膜や胎盤の総称)を納め奉った地であるといい、古くは現納と称した。
尊の胞衣を納めた跡として、社殿の傍らに古石を建て、諸人はそこを産の神、大若子神と称えて尊崇した。」
【註】昭和二十七年に記された神社明細書によると、尊の『臍の緒』を納めたとなっているが、境内にある二基の石碑(昭和九年及び昭和十五年建立)に『胞衣』とあるのでそれに従った。」 |