高月院の由来
「宗派浄土宗 本尊阿弥陀如来 名称大池山青蓮寺高月院
佐土原藩初代藩主以久公は、戦国騒乱の世を勇猛な武将として生き抜いてきた武人でした。晩年伏見に在住したとき、京都大雲院の開山、貞安上人の導きによって心の安定を得られた。のちに浄土宗門の戒を受けて剃髪、「わが子孫永く大雲院の檀那となり、上人の遺法を護らしめん」と上人に約定されたといわれています。
慶長15年(1610)公は伏見で逝去され、上人の引導によって大雲院に葬られ「高月院殿前典厩照誉宗恕居士」と授与されました。
二代忠興公は亡父供養のため上人を開山和尚として佐土原の現在地に寺院を建立。父の号をとって高月院と命名、御廟所と仏間を設け、佐土原島津家の菩提寺とされました。(開山貞安上人伝 高月院蔵より)
初代公の約定はそのまま生かされ、当院と大雲院に対する藩の尊崇は非常に厚く、参勤の行き帰りには必ず参詣する習わしになっていました。
文化9年(1812)当院は火災によって全焼、古記録や宝物を焼失したが、藩の手によって直ちに再建され、その壮大な姿は当院の絵図に残されています。
明治の初め、廃仏の嵐の中で当院は「一宗派一寺院を残す」の令によって、浄土宗の中心寺院として昔の面影のまま、被害を受けずに残り現代に至っています。」 |