巨田神社

2006.07.22

宮崎市佐土原町上田島 巨田(こた)




巨田神社本殿と棟札22枚
昭和53年国指定重要文化財
「天長8年(831)の鎮座と伝えられ、誉田別尊(応神天皇)及び住吉四社の神を奉祀してある。本殿は「三間社流造り」で、文安5年(1448)に上棟修造され、さらに昭和56年の修復によって、室町時代の神社建築様式をそのまま残している南九州にも数少なく、県下では唯一の社殿である。神社には中世から江戸期までの棟札が22枚残り、この棟札によって修造と二度の再興を経たことの事実が証明される。また、本殿両側の摂社(向って右側今宮社、左側若宮社)は県指定文化財(昭和58年指定)で棟札から本殿と同時期の建立と考えることができる。
 ご社殿前斎庭左側には、元禄12年(1699)5月28日、城主島津惟久公が祈願成就のため奉納した石燈籠一基が現存している。」


5代藩主島津惟久公が奉納した石燈籠
元禄12年(1699)5月28日

景行天皇御腰掛の石
越網とその技法
昭和54年町指定
「巨田の大池とそれを囲む丘陵地は400年以前から越網の猟場として受け継がれ、現在石川県片野と巨田のみに残る貴重な古式狩猟地である。
 渡鳥の季節、昼間池を埋めた鴨は日の入りに飛び立って、餌場へ、日の出とともに休息池に帰り羽を休める。この時、池を囲む丘陵の上すれすれの高度で丘を越す。この習性を利用してここの位置からも見えるような丘の上の立木を切り鴨の通る道(越、坪)を開く。鴨の出入りは日の出、日没の20分前後と定まっている。この時坪にかくれて越網を構え、矢のような速さで通る鴨の鼻先に投げかける。網の目に首を突込んだ鴨は網とともに落下してくる。瞬間に鴨の飛翔方向、高低、速度、不測の方向転換などの予測判断を行い、網投げ上げ時期を決定することは各種運動競技の呼吸に合致するものであり、当然熟練した技法が要求される。」
 江戸期は藩の猟場として許可された者のみが坪に立つことを許され心身鍛錬の一つとして受け継がれ、現在に至っている。」