行縢神社について
「大和朝廷の初期、日本武尊、熊襲族征討の折、この地の山の形が行縢(むかばき、毛皮製の乗馬用下半身コート)に似ていると仰せられ、行縢山の名がついたと伝えられている。
秀麗な山と荘厳な滝は、古代の山岳信仰を起こし、これらを御神体として、社殿建立が行われた。
養老二年(718年)紀州(今の和歌山県)熊野大社の御分霊が奉祀された。祭神は伊弉諾の尊ほか二神で行縢嶽山所大権現と称し、日向国内の著名な神社で、代々の藩主の崇敬があつかった。
長寛二年(1164年)鎮西八郎為朝が当社に参籠して、武運長久を祈願した。
史跡は町の宝物 みんなで大切にしましょう。」
寄贈 延岡電報電話局 |