愛宕神社沿革について
「当社は、伊邪那美命、軻過突知命のニ神を御祀りしてある。
このニ神は、その昔、延岡城に奉祀されていたが、慶長元年(1596年)領主、高橋右近将監が同地の城砦建築のため、当山の山頂にお遷しし、山名を笠沙山より愛宕山と改められた。
その後慶長十九年肥前国(今の長崎県)島原の領主、有馬直純が延岡領主となり、寛永元年(1624年)神殿再建、神領高、祭典料を寄進し、祭典には領主の代参を欠かさなかった。以後、三浦、牧野、内藤各代々の領主も同様に尊崇の念が極めてあつかった。
明治三年(1870年)十二月、春日神社に合併されたが、同十三年一月、現在地に復社された。それ以後“火の神”“火防の神”として尊崇のあつい御社となっている。」
愛宕神社社務所 |