勝目氏庭園 県指定名勝
「飫肥城下の武家屋敷庭園を代表する枯山水の庭である。三十坪余りに滝や橋、蓬莱石、三尊石などに見立てた石組がみられ、宋の玉潤の山水画を摸したといわれる“玉潤式”の庭園といわれている。
一説には願成就寺第世住持で、赤面法印と呼ばれた祐遍和尚(1650項〜1727年)の作と伝えられているが、様式的には江戸中期以後と考えられている。
同庭園を含む屋敷地約一千一百平方メートルは、承応年間(1652〜1654年)に鈴木猪右衛門、天保十二年(1841)頃には藩医木脇隆敬が居住していた。天保城下図によると、前鶴通りには藩医の屋敷が多くみられる。
昭和八年(1933)の指定当時は寺岡氏の所有であったので“寺岡氏庭園”と呼ばれていたが、その後所有者の変更により“勝目氏庭園”と呼ばれている。」 |