鵜戸神宮
2019.01.06
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日南市宮浦
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国指定名勝 鵜戸 平成29年10月13日指定
「名勝鵜戸は、日向灘に突き出た岬で、古来より南九州各地から厚い信仰を受け、修験の場としても栄えてきた。また、日向神話の海幸山幸神話の舞台として、鵜戸神宮本殿が建つ洞穴(隆起海食洞)や亀石、お乳岩や速日峯陵(主祭神陵)、周辺の玉依姫陵伝承地(宮浦古墳)などが伝えられている。
名勝の中核をなす鵜戸神宮は、南九州を代表する神社である。鵜戸神宮の社伝には延暦23年(804)に社殿を再興したとあり、近世には飫肥藩主伊東氏の庇護のもと造替や改修が行われた。明治維新までは、鵜戸山もしくは鵜戸大権現と呼ばれ、境内の仁王護国寺を仁和寺が所管し、神門に至る八丁坂参道の両脇には18の寺坊が並んでいた。
宮崎市青島から日南市風田にかけての日南海岸には、宮崎層群(約1200万年前から150万年前までの間、深い海底で砂の層と泥の層が交互に堆積した層)のなかでも古い時代の地層が露出しており、この砂岩泥岩互層が波の浸食を受けて形成された波食棚や海食洞、ノッチ(岩が窪んだ地形)が随所に見られる。鵜戸崎の南面に見られる波食棚は、鵜戸千畳敷奇岩(鬼の洗濯板)と呼ばれ、県の天然記念物に指定されている。
古からの自然景観と神話を背景とした鵜戸の地は、今も多くの人々から厚い尊崇を受け、また、景勝地としても多くの人々を惹きつけており、古くからの旅行記や日記等にその様子が記されている。このような特徴的な地形及び地質によって形成された風致景観は、その観賞上の価値が高く評価されることから、平成29年10月13日、国名勝に指定された。」
日南市教育委員会 |
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早朝で参拝客も少ない
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門は閉まっています
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冬場は7時開門
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楼門
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神橋(玉橋・霊橋・鵜戸の反橋)
「この神橋は、神仏習合時代には金剛界三十七尊の御名が書かれた三十七枚の板が配してありました。
この神橋を渡ると御本殿に至る急な石段です。
これより先は、古来より尊い御神域、霊場として深い信仰を集めてまいりました。
かつては、橋の手前から履物を脱ぎ、跣でお参りをしていました。
今はその習慣はなくなりましたが、その心は生きています。
お参りの方々は御神慮にかない、心は清く正しく明き人として祝福され、御加護を受けられるといわれています。
ようこそおいで下さいました
この神橋と石段、どうぞ足元に注意して下りられ
ごゆっくり御参拝下さい」
鵜戸神宮社務所
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階段を下り
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岩窟へ
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鵜戸神宮本殿 県指定建造物
「鵜戸神宮本殿は、鵜戸崎の日向灘に面した岩窟内に建てられている。
本殿創建の年代は不詳であるが、社伝によると崇神天皇の代に創建し、崇神天皇の勅命により、光喜坊快久が神殿及び仁王護国寺を再興した、と伝えている。中世には、『鵜戸六所大権現』、江戸時代以降は『鵜戸山大権現』として、日向国内外から厚い信仰を得ていた。
現在の本殿は、正徳元年(1711)に飫肥藩五代藩主伊東祐実が改築したものを明治23年(1890)に大修理を行い、さらに昭和42年(1967)に修理したものである。平成9年度(1997)には屋根や内装等の修理が行われた。このように幾度の改修を実施したものの、岩窟内に見事に収めた権現造風の八棟造は、往時のままであり、その文化的価値は高い。」
説明板管理者/日南市教育委員会
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御乳岩
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亀石
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目的の日の出は雲が多い
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波状岩にアオサギ
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こちらは
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不明
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イソヒヨドリ メス
以上 2019.01.06撮影
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8ヶ月ぶりの訪問
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神門
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楼門
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千鳥橋
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下の奇岩
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玉橋から
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御本殿
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皇子神社
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お乳岩
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ご出勤
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亀石メンテ中
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奇岩
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玉橋から
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帰り道 楼門
以上 2019.03.31撮影 |