中ノ尾供養塔

2014.11.09

日南市板敷




中ノ尾供養碑 国指定史跡
「中ノ尾供養碑付近は、『ゴウマイガ辻』『中尾』『宮ケ峰』として諸記録にあらわれます。文明16年(1484年)都於郡(現在の西都市)城主伊東祐国の飫肥城攻略以来、軍事上の拠点として陣営が置かれ、合戦がくりかえされました。特に天文18年(1549年)4月2日の戦闘は激しく、飫肥城主島津忠広らが、この地に布陣していた伊東軍を、午前四時頃奇襲して、守将伊東治部少輔以下三百人を討ち取る勝利をあげました。
′中ノ尾供養碑は舟形光背をもつ地蔵菩薩碑です。この碑を建立したのは飫肥城の一角にあった金剛院(現在の田ノ上八幡神社の西)の開山朝編です。朝編は島津氏の意向をうけ、伊東方戦士者の霊を慰めるため、合戦のあった年の11月、陣営跡に建立しました。」

(管理者:日南市教育委員会 社会教育課)
案内板に従って上ってきました

中ノ尾供養碑

舟形光背をもつ地蔵菩薩碑

天文十八年卯月二日 當陣責落

側面